心意気インタビューとは、地域の「ヒト・モノ・コト」の心意気を発見していくコンテンツ。
今回の取材先はりんご農家 岡義将さん。
米沢の味ABCの一つでもある、りんご。実は米沢のりんごは山形県で最も古い起源を持ちます。米沢に住んでいながら、特産品であるりんごを育てている様子を知らない方も多いのではないでしょうか。そこで、2022年からりんご農家として活動している岡さんにインタビューしてみました。
この記事で読めること
岡義将さんへのインタビュー
米沢に来たきっかけと、農業を始めようと思った理由は?
米沢に来たきっかけと農業を始めたきっかけがちょっと別なんです。
まず米沢に来たきっかけが大学の先生です。帝京大学の時に先生のゼミに入っていて、就活のゼミだったんですけど、ゼミの夏合宿が小野川温泉で開催されたんです。それが僕が初めて米沢に来たきっかけです。この辺の大学生も僕らの合宿に参加してくれて、交流が深まって、合宿の後にプライベートで個人的にこっちに来て、学生と交流しているうちにすごい米沢が好きになって、月1ぐらいで遊びに来ていました。
来ているうちに米沢の農家さんで面白い方に出会ったのですが、その方が今の僕の師匠になるんですよね。その方にお会いできたことが僕の農業のきっかけにあたります。
当時、合宿の時に僕は3年生で、4年生も一緒に合宿に参加していました。そこで既に僕の師匠にお会いしていた4年生が僕に「面白い農家がいたぞ」って教えてくれたんです。愛媛から移住してきた40代の方で、農薬と肥料を使わずに野菜などを作っていたんですよ。そんな方もいるんだ、ぜひ畑に行ってみたいなと思ったので、その師匠に連絡をとり、個人的に行かせていただきました。後で農業の収穫とか色々手伝わせてもらって、それが色々な農業の道のきっかけになります。
農業に全く縁がなく、実家も別に農家ではありません。農業大学、農業高校へ行っていたわけでもない、農業の「の」の字すら知らない、知識も経験も全くない。師匠と出会ったのがきっかけで本格的に農業をやってみたいと思いましたね。
また当時、就活のゼミに入っていたんですけど、そのまま就職活動をするつもりはなかったので、何をしようかなと考えていたんです。なので4年生の頃、師匠に連絡を取って「ちょっと師匠のところで勉強したいんですが、いいですか?」と聞いたら「いいよいいよ」と言ってくださったので、それが移住するきっかけの一つになりますかね。
それに農業にはずっと興味があったんですよね。農家さんが減ってる…。担い手もいない…とかよく耳にする機会がありました。なので、これは農家をした方がいいんじゃないかと、農家で頑張っていく決心をしました。
実際にやってみて、ギャップは多かったですか?
最初の入り口はめちゃくちゃ甘い考えで入ったんですよね。やってみるとなかなか厳しいところもあるけど、最初は全然そんなこと考えてなかったんですよ。畑があって、「僕農家です」って言えば農家になれると思ってました。
農家になるまでの手続きも、結構行政の手続きが多かったりなど、いろいろ何も知らなかったです。事業計画書を作ったりするにも「事業計画書って何ですか?」から始まって、全然分からないままやっていました。
農業を始めて大変だったことはありますか?
トラクターの使い方が難しいというのがありましたね。みんな簡単に乗っているように見えますが、あれ、以外とコツがいるんですよね。最初ぶつかったのは機械の扱いですかね。簡単にやってるように見えますけれども、全然難しいですよ。
今は完全に独り立ちですか?
そうですね。もともと来てすぐに僕が開業というか、新規就農という個人の農家になってしまったので、そこから一応独り立ちはしています。
経営は自分で独立してるんですけど、全く知識も経験も0の人間なので、お金もそこまでありません。でも、ありがたいことにいろんな農家さんからお声をかけていただいてお手伝いをさせていただいています。その知識や経験をいただきながら、3年目ぐらいまではそんな感じでやっていました。
農業アルバイターとして、りんご以外にも野菜などいろんな作物を手伝っていましたね。春の田植えなどから始まって、自分の作業を行いながらも草刈りの手伝いに行ったり、秋は米の収穫やりんごを収穫したりしていました。
りんごでやっていくと決めたのはいつ頃ですか?
2023年になります。自分で栽培を始めたのが2022年なんですけど、当時は本当訳がわからない状態でやっていました。2023年からは、やっと自分で考えた感じでこなせるようになってきましたね。もちろん収入のことを考えることも必要なのですが、一番はやっぱり「自分に合ってるかどうか」を大切にしたいんです。
農業ってひとくくりに言っても作物によって全く違う働き方をします。例えば酪農も農家ですしね。米の作り方なんて全く知りません。その中で「果樹」が自分の性に合ってやりやすかったので、山形県で一番古い起源をもつ「りんご」を育ててみようと決断しました。
また、りんごを始めたきっかけの一つとして、りんごの先生の跡継ぎがいないということもありました。今60半ばぐらいの方なんですけど、その人のことをめちゃくちゃ好きで尊敬しているんです。ザ農家みたいな(笑)。「うち寄ってお茶飲んでけ」とか「まんま(ごはん)食ったが」とか気にかけてくれて、本当あたたかい方ですね。
ですが1年目の時から秋の収穫とかふじりんごの収穫とかお手伝いをして、3年ぐらい続けた時に「もう跡継ぎがいないから、俺の体が動かなくなったらお前に全部任せるかな」と言い始めて。おそらく半分冗談だったと思うのですが、そう言ってもらえたのが嬉しかったですね。僕もやりたいなと思っていたので。
果樹が相性がいいというのはどんな部分でそう思われたのですか?
りんごの栽培って、50年位かけながら1本の樹と付き合っていくんです。それが性に合ってると思いますね。米とか野菜とかって、だいたい春先に種を蒔いて、秋に収穫してるんです。1年でリセットされるんですけど、果樹は何年も続いていきます。
例えるなら学校の先生か親かという感じで、野菜や米は学校の先生みたいな感じですかね。樹は1年に1回卒業するタイミングがあるわけでもなく、ずっと付き合っていくので親のような感じです。果樹の方が性に合ってました。野菜を栽培していても、面白いんですけど果樹よりはテンションが上がらない。収穫したら「もう終わりか…」みたいな感じです。
りんごを作るうえで大事にしてる部分はなんですか?
先生から引き継ぐものも勿論そうなんですけど、米沢の名産なのに生産者が減っている。りんご農家さんも跡継ぎがいない方がいます。それはすごくもったいないなと思います。
美味しいんですよね、米沢のりんごっていうのは。なのでずっとこの先も残したいと強く思いました。米沢のりんごを残したいっていうのがりんご栽培を続けている想いですかね。
りんごを育てるうえで難しいことはありませんでしたか?
正解を知らないので、正直何が難しいってわからないんですよね。続けていたら何かできたみたいな。本当に知識もないので、それこそりんごの先生のところに行って作業を一緒に行わせていただき、そこで勉強したことを自分の畑でやる。ずっとその繰り返しでやってました。
育てている品種は何ですか?
今は6品種を育てています。津軽・涼香の季節・秋陽・紅玉・王林・ふじです。9月の半ば頃からずっと続くような構成になっています。地主さんが自分で手売りというか、直売所などで販売するので、周りの方もそんな感じです。やっぱりそれぞれ味や食感はちがいますね。早い時期のりんごは柔らかいです。
また、品種によって手入れなどやることも変わります。大きくは同じなんですけど、品種ごとに違っていきます。樹の感じや剪定なども違いますね。
秋陽は大きくなるので、喜ばれるから大きくするっていう方もいるんですけど、ふじりんごと同じぐらいの量を付けたら大きくなりすぎます。僕は嫌なので、養分を分散させたり考えながらやっています。
実を落とせば落とすほど、1個の実に養分が集中するので大きくなり、実をつければつけるほど、小さくなります。そういった塩梅も実際に挑戦してみて見極めています。1年目の樹に実を付けすぎると樹に負担がかかるんですよね。樹が弱ってくるので、樹を弱らせないように結構数を落としました。そうした結果、大失敗をしました。去年は逆に実を多めに付けていたら、今年の春先に全く花の咲かない樹もでてきました。
その年によって気温も影響したりと、これはもう経験していくしかないなと身に染みて感じました。
同じ品種でも樹によって違いがありますか?
ありますね。たまに大きくならない樹もあるし、逆に大きくなりすぎる樹もあります。30年、40年続けている農家さんだとしても、まだ勉強中だとか、まだ分からないっていう方もいます。剪定も覚えるのに10年かかると言われているくらい、難しいんです。
農家さんが職人気質とのことでしたが、
農家になると関係づくりは大変でしたか?
僕の師匠が地元の農家の方々と繋いでくださいました。師匠もすごく農家さんに好かれている方なんですよね。
そういったご縁もあり、ありがたいことにいろんな方に可愛がっていただいて、あまり大変ではなかったかなと思います。方言はちょっと難しかったですけど(笑)。方言を理解していないと会話が成り立たないんですよね。
最初は本当に分からなくて辛かったです。蕎麦を1年目から栽培しているのですが、秋に地域の農家さんが集まって共同で収穫作業をするんです。そこでもみんな集まって、平均年齢65歳以上のグループが出来上がるんですけど、みんなバリバリの方言で作業をするじゃないですか。「あれやってけろ、これやってけろ」と、仕事をしていて意思疎通ができないんですよね。
怒られた際も何を言っているのかわからなくて、怒られた後に遅れて理解したこともありました。今ではやっと方言も8割方覚えてきました。ですが初めて聴く言葉は難しいです。その際はなんとなく会話の流れで予測するようにしています。
農業にかかわらず大変だったことはなんですか?
雪ですね。騙されたと思いました(笑)。
学生の頃は雪灯籠まつりに来たぐらいで、冬はあまり訪れていませんでした。初めて来た年が6年前なんですけれども、その年は全く雪が降らなかった年。周りの方々が夏場から「除雪機買ったか?雪どうすんなや?」と心配して聞いてくださっていたのですが、結局そんなに降らなかったので、大丈夫だろうと安心していたんです。
そうしたら次の年豪雪で「嘘でしょ…」と驚きました。空き家をお借りしてるんですけど、雪下ろしも4回ぐらいしました。小屋も3つあるので、全部で2週間程かかりました。高いところが苦手なので、本当は屋根に登りたくないけど登るしかないんですよね。屋根の端も分からなくなり危険なので、夏場に形を確認しておく必要があると後で知りました。すごく怖かったですね。
都会から入ってきた人が求める支援はありますか?
やっぱり農地の問題です。空いている農地はあまり栽培条件が良くないところが多いです。条件のいい農地というのは回ってこないんですよね。素人が悪い条件のところでいいものを作れるわけないじゃないですか。ベテランでも難しいのに、そうせざるを得ないのが今の全国的な現状なんですよね。なので条件のいい農地は優先的に、新しく来た人に回してあげた方がいいんじゃないかと思っています。そういったサポートもできるようにと考えています。
圧倒的に受け皿になる部分が足りないと感じています。それは受け入れる側の問題でもあると、僕の師匠や僕ら新規で来た人間も感じた部分でした。これから来る方には必要な苦労はありますけど、あまり必要じゃないことは少ない方がいいと思っているので、受け皿になれるような任意団体も立ち上げています。
好条件の畑が回ってこないというのは具体的にどういうことですか?
条件のいいところというのは、既存の農家さんにまわります。当たり前です、こちらは地域の信頼も何もないので。なので残った場所として新参者に紹介される畑は、竹やぶの中のひん曲がってるバナナのような形の畑などが多いんです。機械を使うことを考えると長方形が一番効率がいいのですが、そういった場所をなかなか紹介されることは少ないです。ですがそういった悪条件でいかに戦うかっていうのは、我々新規の人間のやり方なので、頭を使いながら立ち回る必要がでてきます。
時間を割いて、ちゃんと真摯にやっていくと徐々にいい土地の情報をいただけるので、条件の悪さは最初に通らなくてはならない道だと思います。
僕のりんご畑も、樹勢の強すぎる木(りんごとしてはあまり良くない状態)が多く、自分の剪定や管理の技術がなかったので難易度も激マックスでしたね。ですが、それを最初に覚えてしまえばめちゃくちゃ楽なんじゃないかなと思います。難易度MAXの場所から挑戦する方が、最初にどん底から入る感覚に近いので、かえってその方が楽でした。
外部の人と協力したいなど、今後の展望はありますか?
農業と教育をもうちょっと絡めていけたらいいなと考えています。農業ほどあんなにいい教材はないと思います。多くの人がりんご1個200円とか100円だと思っているじゃないですか。僕はりんご1個100円以上の価値があると思います。りんごが生るまでの過程とか、そういうところを教育と絡めていけたらいいですね。
生産者目線に立つと販売するまでの大変さが結構わかると思います。ここまでしないとお金に変わらないなどなど。僕もやってみて思ったので、そういった経験をした学生が増えれば、日本が変わっていく感じがします。大きく変わらなかったとしてもその経験が多分残ると思います。
食べる人に伝えたい、こんな風に思ってほしいことは?
果物を通して消費者に伝えたいことというと、味や美味しさなどではなく、こんな長い時間をかけてりんごができて、それが世の中に届いているんだよといった「つくる過程」がしっかり存在しているということ。やっぱり僕はそこに価値を感じます。
時間を短く見れば冬の剪定から来冬間近の収穫までの1年なんですけど、長い目で見ると米沢って明治初期からりんごを作って、県内の産地としては一番古いんですよね。そこからずっと栽培を続けてきた。そういう先人たちが苦労に苦労を重ねてきて今までの技術が濃縮されているこの地域一つとっても、剪定の技術や、地区ごとに違う技術、樹の感じも全然違う。
農業というのは、その土地その土地にあわせて作物が変わっていくので、そういうところに僕はすごく面白みを感じます。
青森や長野でも、同じりんごなんですけど、そこまでに至る工程が全く違うというか。そこに価値を見出す。その中で「自分が作りました!」みたいなのはあんまりテンションが上がらないんですよね。どっちかというと自分よりも米沢のりんごとして見ていただきたいですね。
米沢のりんごはやっぱり美味しいものだと思ってほしいから、味を追求していきたいです。
取材を終えて 岡義将さんの心意気とは
先人が繋いできた「米沢」のりんごだからこそ
受け継がれてきた歴史や産地ごとの違いに価値を感じている岡さん。明治からの古い起源を持つ米沢のりんごを、外から来た自分だからこそ残して伝えていきたい。自分個人が育てたことよりも「米沢で育てたりんご」として多くの方に知ってもらいたいと話します。
そんな岡さんが育てたりんごは、これから様々なご縁を繋いで、この先も米沢の地で受け継がれていくように感じました。