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心意気コラム

公開日:2025.7.4

最終更新日:2025.7.4

《心意気インタビュー》山形バリアフリー観光ツアーセンター 加藤健一さん

こばひろ

《心意気インタビュー》山形バリアフリー観光ツアーセンター 加藤健一さん

《心意気インタビュー》山形バリアフリー観光ツアーセンター 加藤健一さん

心意気インタビューとは、地域の「ヒト・モノ・コト」の心意気を発見していくコンテンツ。

今回の取材は、山形バリアフリー観光ツアーセンターの加藤健一さんです。
加藤さんは、障害をお持ちの方でも安心して外出しやすい環境を整える活動や、心のバリアフリーの啓発活動、バリアフリー観光の推進に取り組み貢献しており、健常者と障害者をつなぐ架け橋として活躍しています。
また、障害者の自立を支援する就労支援事業などにも取り組み、インクルーシブな社会の実現に向けて多岐にわたる活動を続けています。
誰も成し遂げたことのない前人未到の挑戦を続ける加藤さんに、活動への想いを伺いました。


■「ひとりのハートが世界を変えられる。」――車いすで空を飛んだ男の挑戦

山形の空を舞うパラグライダー。その景色の中に、車いすに乗った一人の男性の姿がありました。

彼の名は加藤健一さん。山形バリアフリー観光ツアーセンターの代表として、障害者や高齢者が安心して旅を楽しめる社会の実現に取り組んでいます。その活動は観光だけにとどまらず、就労支援、福祉と地域の連携など、多岐にわたります。今回は、彼がその活動に込めた想いや、歩んできた道のりに迫ります。

加藤健一さんへのインタビュー

バリアフリー観光を始めたきっかけは?

21歳のとき、私は筋ジストロフィーを発症しました。それまでは、車の整備や板金の仕事をしながら、「いつか自動車会社を経営したい」と夢見ていました。突然の病気で車いす生活となり、それまで当たり前だったことが次々とできなくなっていきました。

障害者になって気づいたのは、物理的なバリアだけでなく、心のバリアが社会のあちこちに存在しているということ。外出先の段差、階段、求人の壁…。ただ病気になっただけなのに、社会の仕組みそのものが私を排除するように感じたのです。

働きたくても仕事がない。出かけたくても行けない。そんな現実を前に、「この社会は、夢を諦めさせる仕組みになっているのではないか」と疑問を抱くようになりました。

行動を起こすきっかけとなった出来事は?

2014年、私は「Gratitude(グラッティテュード)」というボランティア団体を立ち上げました。「もっと自由に出かけたい」「誰もが当たり前に外出できる社会をつくりたい」――そんな想いからでした。最初に始めたのは、地元の子どもたちと一緒に行う「ブルーペイント大作戦」。障害者等用駐車スペースを青く塗ることで、駐車区画の意義を地域に伝える活動です。

この活動を通じて気づいたのは、相互理解がないと社会は変わらないということ。この社会には多様な方々がいることが当たり前にならなければ、誰も想像し、配慮することができません。私にも娘がいます。娘は私が車いすを使用していることが当たり前の環境で育ちました。だから、私が困っていると自然と手を差し伸べてくれます。しかし、そうした環境になければどう対応すればいいか分からないのは当然のことです。だからこそ、子どもの頃から多様な方と接すること、経験する機会や環境がもっと広がれば、世の中はきっと変わると思ったのです。

パラグライダーへの挑戦は、どのように始まったのでしょう?

ある日、地元・南陽スカイパークを眺めながら、「もしこの空を車いすで飛べたら…」と考えました。当時、日本で障害者を常時受け入れているパラグライダー施設はありませんでした。でも、「誰もやっていないからこそ、やる意味がある」と思ったのです。

ソアリングシステムの金井さんをはじめ、多くの方に支えられ試行錯誤の末、2015年10月5日。筋ジス患者としては世界初となる「車いすによるパラグライダータンデムフライト」に成功。翌2016年、南陽スカイパークは全国で初めて、障害者を常時受け入れる“バリアフリースカイエリア”として始動。パラグライダー専用の車いすも開発され、今では全国から50名以上の障害者が空を飛ぶ夢を叶えています。

加藤さんがパラグライダーで飛ぶ際、恐怖心はありましたか?

私は、健常者の時にパラグライダーの経験はなく、車いす生活になって初めてのフライトでした。全く恐怖心がなかったわけではありませんでしたが、それよりも私が空を飛ぶことで誰かの希望に繋がるかもしれない。新しい観光の目玉になると、スタートラインに立てたことへのワクワクの方が強かったです。

空には段差がありません。空に出た瞬間、健常者も障害者も関係ない。同じ景色を見て、同じ風を感じられる。空の世界は、まさに究極のバリアフリーだと思いました。

その後、就労支援事業へと活動が広がっていきますね。

観光に出かけたくても、経済的な理由で行けない人が多い。だったら、働く機会を増やして、自立できる環境をつくろう――そんな想いから2018年に「株式会社夢源(ムゲン)」を設立し、就労継続支援B型の福祉事業を始めました。

日本初の「車の整備が体験できる就労支援施設」として、車の洗車、オイル交換、タイヤ交換、さらには車検整備や販売まで行える整備工場を運営。さらに2023年には、より実践的なスキルを学べる場所としてガソリンスタンドも開業しました。

ここでは、利用者が接客を学び、自動車の免許取得や、国家資格でもある危険物取扱者乙4の資格を取り、就労を目指すケースも出てきています。地域の方々も、「応援したいから」と給油に来てくださる。価格だけじゃない“選ばれる理由”がここにはあるのです。

今、何を一番大切にしていますか?

私の原動力は、「できない」から「できる」へ変えること。そのためには、まず環境をつくること。自分が病気をした時、そんな環境があったら、人生は大きく変わっていたと思います。

でも、それを整えるのは、当事者だけでは難しい。だから、私がやる。やってみせる。その姿を見て、「私もやってみたい」と誰かが思ってくれたら、世界は少しずつ変わっていく。そう信じて動き続けています。

加藤さんが思い描く今後のビジョンを教えてください

次のテーマは「住まい」です。障害者が自分らしく暮らせる場所、安心して選べる環境がまだまだ足りません。「山形に住んでよかった」「山形なら障害があっても安心して暮らせる」と思えるようなまちなら、すべての人にとっても快適に暮らせる社会の実現に繋がると考えて今、次のステージに踏み出そうとしています。

取材を終えて 加藤健一さんの心意気とは

「ひとりのハートが世界を変えられる。」

「相互理解と歩み寄りが必要」と語る加藤さんからは、現状を打開するためには自らが動くリーダーシップを感じます。周りを巻き込みながら挑戦し、地域のコミュニケーションを広げる。その末に得た車椅子で空を飛ぶ体験は、体の不自由な方にとって一等明るいニュースだったのではないでしょうか。

このコラムを書いた人
こばひろ

山形県高畠町生まれ。新潟のデザイン学校を卒業後、他社で3年間DTPオペレーター、製本などを経験。現在、デザイン業務を行っております。趣味はアウトドアや、釣りで、基本的に外で動くことが好き。平日は早寝早起きを心がけています。休日はよく海や池、川などに釣りに行っています。

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